「第二次中東戦争(スエズ危機)」って、歴史の授業で聞いたことはあるけれど、結局なにが原因でどう終わったのか、モヤモヤしていませんか?
ズバリ、この戦争の結論は以下の3つです!
- 【原因】エジプトが、イギリス・フランスの影響が強かった「スエズ運河」の国有化を宣言したから
- 【展開】怒ったイギリス・フランスが、イスラエルと事前に連携し、戦争を仕掛けた!
- 【結末】軍事的には優勢でも、米ソの圧力で英仏は撤退し、ナセルが「アラブの英雄」になった
この記事では、「なぜ中東の戦争にヨーロッパの国が絡んでいるのか?」、「どうして戦場で勝ったはずの国が負けたのか?」といった歴史の疑問をわかりやすく解説していきます。
「第二次中東戦争=スエズ危機」ってどんな戦争?

「第二次中東戦争」あるいは「スエズ危機」。
歴史の授業で耳にしたことはあっても、「結局、誰が何のために戦ったの?」と聞かれると、パッと答えられない方も多いのではないでしょうか。
実はこの戦争、単なる隣国同士のケンカではなく、ヨーロッパの大国がガッツリ絡んだ「世界の利権争い」でした。
まずは、「誰と誰が戦ったのか」、そして「なぜ中東にヨーロッパの国がいるのか」というところを、わかりやすく整理していきましょう!
対立の主役:エジプト vs 英・仏・イスラエル
ズバリ、この戦争でバチバチに火花を散らした主役は、エジプトと、イギリス・フランス・イスラエルの3カ国連合です。
構図としては以下のようになります。
- 防衛する側:エジプト(自分の国を守りたい)
- 攻撃する側:イギリス・フランス・イスラエル(それぞれの目的でエジプトを叩きたい)
「中東の戦争」と聞くと、「アラブ諸国 vs イスラエル」というイメージが強いですよね。
もちろん、隣国であるエジプトとイスラエルは当時から犬猿の仲でした。
しかし、この「第二次」において最も特異なのは、そこにヨーロッパの二大国が徒党を組んで参戦してきたことです。
エジプトからすれば、「なんでいきなり3カ国から一斉に攻め込まれなきゃいけないんだ!」という、まさに絶体絶命のピンチでした。
中東の戦争に「英・仏」がいる謎と、運河の「持ち主」
スエズ運河は、エジプト北東部のスエズ地峡を南北に貫き、地中海と紅海を結ぶ巨大な人工水路です。
ここはフランス主導のスエズ運河会社が大きく関わって建設・運営し、開通当初はフランスとエジプトが大株主でした。
しかし19世紀後半、近代化政策による財政悪化と対外債務の膨張によって、エジプト政府は保有株をイギリスに売却します。
その結果、スエズ運河を管理・運営する会社は、イギリスとフランスの強い影響下に置かれるようになりました。
エジプトの土地にあるのに、通行料による利益や運営の主導権は、実質的にイギリスとフランス側が強く握っていました。
イギリス・フランスにとってスエズ運河は、通行料収入の問題だけでなく、中東やアジアへの戦略ルートであり、国際的な影響力を支える重要拠点でもあったのです。
これが、中東の戦争にヨーロッパの大国が関与してきた最大の理由です。
すべての引き金!ナセル大統領の「国有化」で大パニック
「自分たちの家の庭先を勝手に使われて、他人が大儲けしている」。
そんなエジプト国民の不満を背負って立ち上がったのが、当時のリーダーであるナセル大統領です。
当時、ナセルはアメリカ・イギリスから援助を受けつつも、裏では対立するソ連陣営から大量の武器を購入するなど、冷戦下で独自外交を進めていました。
これに反発したアメリカやイギリスから、アスワン・ハイダム建設への資金援助を打ち切られてしまいます。
そして、資金援助を打ち切られたナセルは、「ならばスエズ運河の通行料を自分たちのものにする!」と運河の国有化を宣言。
これは単なる経済政策ではなく、「もう欧州の顔色はうかがわない」という強烈な政治的アピールでもありました。
これに最も強く反発したのがイギリスとフランスでした。
イギリスにとっては帝国の生命線であり、大国としての威信そのもの。
フランスもまた強い利害を持っており、さらに当時はアルジェリア独立戦争を抱えていたため、反植民地主義を掲げるナセルの存在そのものを危険視していました。
だから国有化は、単なる経済問題だけではなく、「絶対に認められない挑戦状」と受け取られたのです。
これが、のちにイスラエルを巻き込んだ秘密工作と軍事行動へつながり、第二次中東戦争へ発展していくのです。
イギリス・フランス・イスラエルの「秘密の計画」

エジプトに「スエズ運河」という特大の財布を奪い返されたイギリスとフランス。
なんとしても取り返したい彼らですが、いきなり他国に軍隊を送り込めば、世界中から「ただの泥棒だ!」と非難されてしまいます。
そこで彼らが思いついたのが、ある恐ろしい「秘密の計画」でした。
利権を取り戻したい「英・仏」の焦り
ナセル大統領の国有化宣言に対して、イギリスとフランスは怒り心頭でしたが、同時にものすごく焦ってもいました。
運河はフランスとイギリスの利害が強く及ぶスエズ運河会社によって支配されており、ナセルの国有化はその土台を一気に揺さぶるものでした。
しかも英仏は、ナセルが運河を閉じて西ヨーロッパ向け石油輸送を止めるのではないかと強く警戒していました。
とくにイギリスにとっては、「ここで引けば大国としての威信が崩れる」という危機感もありました。
運河の収入だけでなく、戦後もなお自分たちが中東で主導権を持てるのかという試金石だったのです。
また、フランスにとってナセルは、スエズ運河の国有化をした指導者であるだけでなく、北アフリカの反植民地主義を勢いづける存在でもあったのです。
だから、早く武力で取り返さないと手遅れになる!
でも、正当な理由もなく、こちらから先に攻撃を仕掛ければ国際社会から悪者扱いされてしまう…
そんなジレンマに陥った英仏は、「正当な理由がないなら、自分たちで勝手に作ってしまえばいい」という、とんでもない発想に行き着きます。
イスラエルを巻き込んだ「セーヴルの密約」
そこで彼らが目をつけたのが、エジプトの隣国であり、当時からエジプトと激しく対立していた「イスラエル」です。
イスラエルもまた、エジプトが支援する武装組織からの激しい国境襲撃や、船の通行妨害などの嫌がらせを受けており、エジプトの軍事力を打撃したい独自の動機がありました。
イギリスとフランスは、フランスのパリ郊外にある「セーヴル」という町にイスラエルの代表をコッソリ呼び出し、ある裏取引を結びました。
これが歴史に名高い「セーヴルの密約」です。
- 1.まずイスラエル軍がエジプトに侵攻する。
- 2.すかさず英仏が「危険だから両軍とも運河から離れなさい」と警告を出す。
- 3.エジプトが拒否したら、英仏が「平和のための介入」を名目に攻撃する。
つまり、3カ国でグルになったかなり作為的なシナリオだったわけです。
仕組まれたシナリオと戦争の開始
1956年10月、この恐ろしいシナリオは計画通りに実行に移されました。
約束通り、まずイスラエル軍がシナイ半島に攻め込みます。
するとイギリスとフランスは、待ってましたとばかりに「戦争は危険だ!スエズ運河を守るために両軍とも撤退しなさい!」と警告を出しました。
自分の国を突然攻撃されているエジプトが、「はい、撤退します」なんて言うわけがありませんよね。
そして英仏は、「エジプトが警告を無視した!ならば平和のために実力行使だ!」と、これを口実にエジプトへの激しい爆撃を開始します。
こうして、裏で周到に仕組まれた介入シナリオによって、本格的な戦争の火蓋が切って落とされたのです。
意外な結末?アメリカとソ連の介入による強制終了

イギリス・フランス・イスラエルの3カ国による、完璧な「自作自演」で始まったこの戦争。
そのまま彼らがスエズ運河を奪い返して終わるかと思いきや、事態は思わぬ方向へ転がります。
当時の世界の二大ボス、「アメリカ」と「ソ連」が突然介入してきたことで、事態は強制終了させられてしまうのです。
味方のはずの「アメリカ」が大激怒した理由
イギリスとフランスは、「同じ西側諸国のトップであるアメリカなら、黙認してくれるだろう。」と見ていました。
ところが、当時のアメリカ大統領アイゼンハワーは「私に一言の相談もなく、なんて勝手なことをしてくれたんだ!」と大激怒します。
なぜ怒ったのか?それはタイミングが最悪だったからです。
実は全く同じ時期に、ソ連が東欧のハンガリーに軍事侵攻する事件、ハンガリー動乱が起きていました。
これに対しアメリカは「他国を武力で弾圧するソ連はけしからん!」と世界中で非難キャンペーンを張っていたのです。
それなのに、身内である英仏が「力ずくで他国の運河を奪う」という同じような侵略行為をしてしまったため、「これじゃあソ連の悪口を言えないじゃないか!」と、アメリカは仲間の裏切りにカンカンでした。
ソ連の脅しと国連による「停戦」の勧告
一方、エジプトを支援していたもう一つの超大国「ソ連」は、さらに過激な行動に出ます。
エジプトへの攻撃を今すぐやめないなら、イギリス・フランスへの軍事的な報復も示唆する強い威嚇を行いました。
こうなると、世界中が「第三次世界大戦が起きてしまう!」とパニックです。
そこで国連では停戦に向けた動きが加速します。
ただし、安全保障理事会ではイギリスとフランスが拒否権を使ったため、話はすぐにはまとまりませんでした。
そのため、舞台は国連総会の緊急特別会合へ移され、停戦と撤退を求める決議が進められます。
さらに、現地の停戦監視のために国連緊急軍(UNEF)も創設され、イギリス・フランスやイスラエルに対する国際的な圧力は一気に強まっていきました。
軍事的には優勢でも、最後は「撤退」へ
戦場において、イギリス・フランス・イスラエル軍は圧倒的に強く、エジプト軍は劣勢に立たされていました。
運河の占領も目前です。
しかし、アメリカ・ソ連の強い圧力に加え、とくにアメリカは、これ以上軍事行動を続けるならポンド防衛を支えない姿勢を示すなど、イギリスに深刻な経済的圧力をかけました。
つまり英仏は、軍事的には前進していても、外交的にも経済的にも追い詰められてしまったのです。
その結果、イギリスとフランスは不本意ながら撤退を受け入れ、イスラエルも最終的には撤兵へ向かうことになりました。
こうして、軍事的には劣勢だったエジプトは、政治的には勝利を収めます。
大国からの武力攻撃という絶体絶命のピンチを乗り越え、ナセル大統領の「スエズ運河の国有化」は見事に大成功を収めたのです。
この戦争が変えた世界

スエズ危機は、単なる中東の局地的な揉め事では終わりませんでした。
この戦争の結末は、それまでの「世界の当たり前」を根底からひっくり返す、歴史的な大転換点となったのです。
スエズ危機で露呈したイギリスとフランスの限界
かつて世界中を支配し、「超大国」として君臨していたイギリスとフランス。
彼らは「自分たちより弱い国は、武力で脅せば言うことを聞かせられる」という古い常識(帝国主義)を信じていました。
しかし、この戦争でアメリカの「お金の脅し」とソ連の「強い威嚇」に屈し、手も足も出ずに撤退したことで、「もうイギリス・フランスは世界の主役ではない」という残酷な事実が世界中にバレてしまいました。
このように、スエズ危機はイギリス・フランスがもはや以前のように単独で世界を動かせないことを露呈させた事件でした。
また、力ずくで他国の土地や利権を奪う「帝国主義の時代」が限界を迎えたことを印象づけ、戦後の脱植民地化をさらに加速させた象徴的な転換点だったといえます。
ナセルが「アラブの英雄」に
一方で、戦場ではイギリス・フランス・イスラエル軍によって大きく劣勢に立たされたはずのエジプトですが、終わってみればナセル大統領は「アラブ世界のスーパースター」へと大出世を果たします。
なぜ、軍事的に負けたのに英雄になれたのでしょうか?
それは、軍事的には苦しい局面に追い込まれましたが、最終的には英仏を撤退に追い込み、スエズ運河の支配を維持したからです。
長年、ヨーロッパの国々に見下され、理不尽に搾取され続けてきた中東の人々にとって、ナセルの姿はまさに希望の光でした。
「俺たちも、団結すれば大国に『NO』と言えるんだ!」
この事実がアラブ中の人々に強烈な勇気とプライドを与え、ナセルはエジプトの枠を超えた「アラブ全体の英雄」として熱狂的に支持されることになったのです。
まとめ
第二次中東戦争=スエズ危機は、単なる中東の領土争いではなく、「古い大国」と「新しい大国」、そして「立ち上がる中東」の思惑が激突した歴史的な大事件でした。
今回の記事の要点をまとめると、以下のようになります。
- 何のための戦争?:スエズ運河という重要な戦略ルートと利権をめぐる争い。
- なぜ起きた?:エジプトの「国有化」に反発したイギリスとフランスが、イスラエルとの密約のもとで軍事介入したから。
- 英仏が負けたって本当?:軍事的には優勢でも、アメリカ・ソ連と国際社会の圧力で撤退を余儀なくされた。
- 世界はどう変わった?:イギリスとフランスの限界が露呈し、脱植民地化の流れがさらに強まった。ナセルはアラブ世界の英雄になった。
このように、歴史の裏側にある「お金」や「大国の威信」に注目すると、過去の出来事がまるでドラマのように面白く見えてくるはずです!