ニュースでよく耳にする「中東情勢」。
「そもそも、なぜ中東では対立が続いているの?」と思ったことはありませんか?
その背景の一つとして外せないのが、1973年に起きた「第四次中東戦争」です。
この記事でわかる「3つの結論」を先にご紹介します。
- なぜ起きた?
1967年に失った領土を取り戻し、交渉を動かすための戦争だった - 日本への影響は?
「石油」が武器になり、日本でも物価高と買い占め騒動が広がった - どう終わった?
争いのショックが教訓となり、エジプトとイスラエルの和平交渉が大きく進んだ
歴史が大きく動いた約3週間の戦争を、わかりやすく解説していきます。
そもそも「第四次中東戦争」とは?

「第四次中東戦争」という言葉を聞くと、「遠い中東であった、昔の歴史」と思うかもしれません。
しかし、実はこの争い、私たちの日本を含めた世界中の生活や経済をガラリと変えてしまった、歴史の大きなターニングポイントなのです。
まずは「いつ」、「誰が」、「なぜ争ったのか」、その全体像を整理していきましょう。
1973年に起きた「約3週間」の激戦
第四次中東戦争が起きたのは、今から約50年前の1973年10月。
「戦争」と聞くと、何年にもわたって泥沼の争いが続くイメージがあるかもしれません。
しかし、実はこの戦いはわずか「約3週間」という、非常に短い期間で停戦を迎えました。
期間こそ短かったものの、両陣営が当時の最新技術を注ぎ込んだことで、歴史に残る非常に激しい衝突となりました。
短い期間に大きなエネルギーが凝縮された、まさに「短期決戦」だったのです。
どこが戦った?「イスラエル vs エジプト・シリア」
対立の構図は、中東のユダヤ人国家「イスラエル」と、隣接するアラブ諸国の「エジプト」・「シリア」でした。
中東地域では、建国や土地をめぐって過去にも3回にわたって大きな争いが起きていました。
つまり、イスラエル建国や領土問題をめぐって続いてきた対立が、「4度目の大きな衝突」として表面化したのです。
この戦争が世界を変えた「2つの理由」
では、なぜこの中東での短い戦いが「世界を変えた」と言われているのでしょうか。
理由は大きく2つあります。
- 「オイルショック」の引き金になったから
- 「エジプト・イスラエル和平への第一歩」になったから
※詳細は後述
ただの「地域の争い」にとどまらず、世界の経済と歴史を大きく動かした。
これが、第四次中東戦争の最大のポイントなのです。
なぜ起きた? 領土奪還とエジプトの狙い

過去に3度も衝突してきたイスラエルとアラブ諸国。
4度目の争いが起きた最大の理由は、エジプトとシリアの「失った領土の奪還」と、「敗北で傷ついた威信を回復したい」という思いにありました。
きっかけは「第三次中東戦争」の歴史的大敗
時計の針を、6年前(1967年)に戻しましょう。
この時起きた「第三次中東戦争」で、エジプトやシリアを中心とするアラブ陣営は、わずか6日間でイスラエルに大きく敗れました。
圧倒的な強さを見せつけられたアラブ諸国は、国際社会での威信を大きく傷つけられました。
そして「このままでは終われない」という思いが、エジプトやシリアの政治・軍事判断に大きく影響したのです。
どうしても取り返したかった「2つの土地」
前回の敗北は、ただプライドを傷つけられただけではありませんでした。
エジプトは「シナイ半島」という広大なエリアを、シリアは「ゴラン高原」という軍事的にも水資源の面でも重要な拠点を、それぞれイスラエルに占領されてしまったのです。
自分たちの国の一部だった大切な場所を奪われたままにしておくことは、彼らにとって絶対に受け入れられないことでした。
この「奪われた2つの土地を何としても取り返したい」という悲願が、次の行動を起こす最大の原動力となります。
第三次世界戦の詳細はこちら
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エジプトの狙いは「交渉を動かすこと」だった
ここで面白いのは、エジプト側の狙いが「イスラエルを完全に打ち負かすこと」ではなかったという点です。
当時のエジプトの大統領、サダト大統領は非常に現実的で、軍事力で勝るイスラエルに真っ向から勝つのは難しいと冷静に分析していました。
そこでサダト政権が考えたのは、「限定的な軍事的成功によって圧力をかけ、シナイ半島返還に向けた交渉を動かす」という作戦でした。
つまり、少なくともエジプトにとっては、単なる怒りや感情的なぶつかり合いではなく、領土を取り戻すための非常に計算された政治・軍事戦略だったのです。
イスラエルの油断を突いた奇襲

エジプトとシリアが練りに練った奇襲作戦。
彼らが決行の日に選んだのは、イスラエル側が大規模攻撃の可能性を低く見積もっていた、ある特別な日でした。
狙われたのは「ユダヤ教で最も神聖な日」
第四次中東戦争は、別名「ヨム・キプール戦争」とも呼ばれます。
「ヨム・キプール」とは、ユダヤ教において1年で最も神聖とされる「贖罪の日」のことです。
この日、イスラエルの人々は一切の労働を休み、飲食も絶って静かに祈りを捧げます。
テレビやラジオの放送すら止まるほどでした。
一方、エジプトやシリアなどアラブ側にとっても、当時はイスラム教の「ラマダン(断食月)」の期間中でした。
エジプトとシリアは、イスラエル国内の動きが止まりやすいヨム・キプールの日を狙って攻撃を開始しました。
さらに「相手もラマダン中だから大規模な攻撃はしてこないだろう」というイスラエル側の思い込みも重なり、二重の油断を見事に突いた緻密な作戦でした。
意表を突かれたイスラエル軍は、予備役の動員や態勢の立て直しに時間を要し、初動で大きく出遅れてしまいました。
大きく揺らいだイスラエルの「不敗神話」
第三次中東戦争で圧倒的な勝利を収めて以来、イスラエル国内には「アラブ諸国が攻めてきても絶対に負けない」という絶対的な自信がありました。
しかし、最新の兵器を揃え、緻密な計画を立てて攻め込んできたアラブ側の猛攻の前に、その「不敗神話」は大きく揺らぎました。
開戦直後、イスラエル軍は苦戦し、イスラエル社会に大きな衝撃を与えました。
背後で激突!「アメリカ vs ソ連」の代理戦争へ
さらに恐ろしかったのは、この戦争が単なる「中東地域の衝突」にとどまらなかった点です。
当時、世界はアメリカとソビエト連邦が激しく対立する「冷戦」の真っ只中にありました。
苦戦するイスラエルの背後にはアメリカが、勢いに乗るアラブ諸国の背後にはソ連がつき、それぞれ大量の武器を送り始めました。
つまり、当事国同士の戦争でありながら、背後ではアメリカとソ連が間接的にぶつかり合う「代理戦争」にもなってしまったのです。
一時は「米ソの直接対決に発展するのではないか」と世界中が息を呑む事態へと発展していきました。
なぜ日本もパニックに?「オイルショック」への連鎖

中東で激しさを増す戦争が、なぜ遠く離れた日本のパニックに繋がったのでしょうか。
そのカギを握っていたのは、私たちの生活基盤を支える「ある資源」でした。
アラブ産油国が使った強力なカード「石油戦略」
イスラエルと戦うエジプトやシリアを支援するため、アラブ産油国はある思い切った行動に出ます。
それは、イスラエルを支援する国々への禁輸や、石油の供給制限によって圧力をかけるというものでした。
さらに原油価格の大幅な上昇も重なり、世界経済に大きな衝撃が広がります。
当時、すでに世界のエネルギーは中東の石油に深く依存していました。
ミサイルや戦車を使わずとも、「石油の供給を絞る」こと自体が、世界経済に大きな圧力をかける手段になったのです。
日本を襲った狂乱物価と「トイレットペーパー騒動」
この石油戦略によって、最も大きなダメージを受けた国の一つが日本でした。
当時の日本は、エネルギー源である石油のほとんどを中東からの輸入に頼っていたからです。
「このままでは日本から石油がなくなるのではないか」という不安が広がり、あらゆるモノの値段が異常なスピードで跳ね上がる「狂乱物価」を引き起こしました。
さらに、「日本から紙がなくなるらしい」という不確かなデマが人々の不安を煽り、スーパーの棚からトイレットペーパーや洗剤が消え去るという、買い占め騒動へと発展してしまったのです。
トイレットペーパー騒動の詳細はこちら
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産油国の発言力が一気に高まった瞬間
この一連の騒動は、世界の国々に、「エネルギーを握る国」の影響力の大きさを思い知らせました。
それまで世界の経済やルールは、主にアメリカやヨーロッパなどの「先進国」が中心となって動かしていました。
しかし、オイルショックを境に「本当に強いのは、生活に欠かせない資源の決定権を握っている国だ」という現実を、世界中の人々が思い知らされたのです。
この危機で、産油国の発言力が一気に高まり、先進国はエネルギー安全保障の弱さを思い知らされました。
どう終わった? エジプト・イスラエル和平への道

世界中を大混乱に巻き込んだ争いの後には、歴史の皮肉とも言える「意外な展開」が待っていました。
それは、それまで考えにくかった「エジプト・イスラエル和平への第一歩」でした。
泥沼化を止めた米ソの介入と「停戦」
戦争がエスカレートする中、背後でそれぞれの陣営を支援していたアメリカとソ連は、次第に大きな危機感を抱き始めました。
「このままでは、米ソの直接対決に発展してしまうかもしれない」と焦ったのです。
そこで国連安全保障理事会は、1973年10月22日に「決議338」を採択し、ただちに戦闘をやめることと、和平交渉を始めることを求めました。
ただし、その後も戦闘は完全には止まらず、追加の停戦決議を経て、10月下旬にようやく戦争は収束へ向かいました。
憎しみを超えた「歴史的握手」へ
戦争が終わった後、世界をあっと驚かせる出来事が起きます。
なんと、開戦を主導したエジプトのサダト大統領は、長年敵対してきたイスラエルとの和平に動き出します。
第四次中東戦争で互いに大きな痛手を負ったことで、「このまま武力で争い続けても、双方に大きな被害が広がるだけだ」と痛感したことが大きな理由でした。
1977年にはイスラエルを訪問し、1978年のキャンプ・デービッド合意を経て、1979年にはエジプトとイスラエルの平和条約が結ばれました。
※シリアとの間には現在も平和条約は結ばれておらず、対立が続いています
長く敵対してきたエジプトとイスラエルが和平へ向かったことは、第四次中東戦争後の大きな転換点でした。
戦争の衝撃が、結果的に「武力ではなく交渉で解決する」方向へ動くきっかけになったのです。
まとめ
今回は、世界経済と歴史を動かした「第四次中東戦争」を整理しました。
- 1973年の超・短期決戦
奪われた領土を取り戻したいエジプト・シリアの奇襲によって開戦。 - エジプトの大きな狙いは「交渉」
軍事的な一撃で、シナイ半島返還に向けた交渉を動かそうとした。 - 世界をパニックにした「オイルショック」
石油が武器になり、日本の物価も大混乱に。 - 戦争から和平へ
痛烈な教訓が、エジプト・イスラエル平和条約に繋がった。
「遠い中東の歴史」と聞くと難しく感じますが、実は私たちの生活や現在の経済の仕組みと深く繋がっています。

